これって恋なの? それとも愛なの? 『愛するということ』

先日、映画を観に行った時のこと。始まる前のCMでこんなセリフが流れました。

正確ではないのですが・・・。

「これって恋なの? それとも愛なの?」 って。

何のCMかは覚えていません。

で、その時私は思いました。

それは、きっと、“”だよ。
”じゃないよって。
その二択で悩んでいる時点で、"愛"ではないよって ('ω')  なぜなら・・・。

~~~~
なんとなく気になる人ができて、手が少し触れただけでドキドキしたり、目が合っただけで胸がいっぱいになったり、とにかく気がつけば相手のことばかり考えてしまうという状態。
もしそういうことであれば、それは、“恋”ですよ。

これに関連する記事で、以前ブログでご紹介した記事↓

男女の恋愛感情は3年で冷める!?恋愛ホルモン"なんへん"

異性に好意を持った時に分泌される脳内物質があります。
フェニルエチルアミンという俗に恋愛系ホルモンというやつです。
脳内でこの物質のホルモン濃度が上昇すると、性的興奮と快感を覚えるのですね。

つまり、“恋”の状態というのは、このホルモンが出ている時の状態と考えられます。

しかし、このホルモンには一つ問題がありまして・・。
それはなにかと申しますと、

同じ相手との恋の中で“フェニルエチルアミン”が分泌し続けることは無いということ! なんです。

このホルモンは、身体に大きな負担がかかるため、分泌期限が決まっており、相手を知るごとに徐々に分泌量が減っていき、早くて約3ヶ月~長くて3、4年ほどで落ち着いて出なくなってしまうという。
個人差や年齢による差も当然あるのでしょうが、
ああ、やっぱりだんだんと出なくなってしまうのかぁ、やっぱりね!っていうホルモンなんです。

確かに、一緒に住み始めたとして、4年も5年もたつのに、手に触れただけでトキメキやドキドキを感じたり、それにともなう緊張や興奮をいつまでも感じていたら、身体がもちましぇん (`^´)!

※もちろん、年月がたっても何かあるたびに“やっぱりあの人のことが好き!!ハート” なんてことはあるでしょうが、それはまた、初めのトキメキとは違う感情(尊敬とか憧れとか感心などという感情)なのかなと思います。

つまり、”の状態というのは、このホルモンが出ている時の状態と考えれば、
じゃあ、“”は?っていう話になります。

“愛”とはなにって。
“愛”とはなんぞや、どう定義するの? とか。

世の中には、いろんな考え方がありますが、ここでは、“恋”との比較というテーマなので、男女の“愛”についてに限定したいと思います。

“愛とは”の答えとしてネットで見かけたものをざっとまとめてみました。

・愛とは、自分のことよりも相手をどれだけ大切に想うか。
・相手の全てを受け入れること。
・唯一の存在、かけがえのないもの、と感じたとき。それが愛。
・お互いが相手を想えるようになれば、恋が愛となり生涯を誓い合うようになる。
・お互いがお互いを認め合えるようないい関係。
・愛とは、誰かのおかげで自分を愛せるようになること
・愛とは無条件に人々を思いやること。
・愛は自分本位の感情ではないので、相手に尽くしていること、相手を愛している行為自体が自分にとって大きな喜び
・愛されている側も愛を受け取ることで心を満たしているため、お互いに心を共有し合える感情。
・愛は、相手の全てを受け入れて、自分の心と相手の心を共有し合う温かい精神のつながりのような心理状態。その中には、気配り、思いやり、自己犠牲などの献身的な感情が伴う。

すべて漠然としていますが、このどれもが正しいとするなら。

”が何かに(恋愛系ホルモンとか)突き動かされるもの、自分の感情を上手にコントロールできなくなるもの=受動的なもの。

対して、“”はもっと能動的、自発的なもの。自ら、またはお互いが相手の懐に入っていかなければ生まれないものだと言えそうです。

だから、冒頭の、映画館で見たCM

「これって恋なの? それとも愛なの?」 って問いに対しては、

そもそも“恋”と“愛”はまったく別物であり、相手が気になる、相手に対して好意を抱く、何かほんわかしている状態で、それが恋なのか愛なのか分からないなんていう受動的な段階では、"愛"と呼べるステージではないということです。

“恋”が自然と“愛”に変わるものではないですし
"愛"は、“恋”の延長線上に自然と発生するものではないよと。

つまり、"愛"は、そんなスナック菓子のような"お手軽なもの"ではないと思うわけです。

私の愛の、いえ、人生のバイブルである『愛するということ』の中にこうあります。
愛するということ 著者:エーリッヒ・フロム 発行:紀伊国屋書店
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愛は技術であろうか。技術であるとすれば、愛するためには知識と努力とが必要となる。それとも愛とは快い感じにすぎないものであり、それを経験するかしないかは、機会のいかんにかかるもので、幸運にさえ恵まれるならば、きっとその中に「落ち込む」というようなもの、なのであろうか。
この本は、愛とは技術であるとする前者の見解に立っている。しかし、今日の人々は、その多くが、後者の意見の側に立っていることは疑いないように思える。
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私はこのフロムの考えを100%支持するものです。

誰でも、何もしなくても、機会さえあれば自然と人を好きになる(恋する)ことは出来ます。それは本能ですから。

しかし、“愛すること”は、誰もが出来るとは限らない、と。

"恋"は誰にでも訪れますが、"愛"は一生経験せずに終わる人もいるということ。

「技術」とかいうと、テクニック的なことを思い浮かべるかもしれませんが、フロムが言う技術とは、テクニックではありません。
著者フロムは言います。例えば、「職人さんの技(術)、医療の技(術)など、その技術の習得には、経験と鍛錬が必要です。
愛が技術だとするなら、当然、【経験や鍛錬】が必要になります。
それから【精神の統一】、目標に向かって集中すること。そして成し遂げようとする【忍耐】

要するにこれらすべて、【人間力の向上】ということ。

利己的・自己中心的な思考は誰もが何もしなくても備わっているもの。対する他人の幸福を第一とする考え方、利他的な思考は、経験をし、精神を鍛えなければ生まれない。
人間力の向上を通して、謙虚さを身につけ、相手に対する信頼、共感を得ることができる。

それらがひいては、人を愛することができる自分になるということ。

先ほど抜粋したいくつかの"愛"とは?に対する答え。検索すると、ネットにあふれています。
・自分のことよりも相手をどれだけ大切に想うか。
・お互いがお互いを認め合えるようないい関係。
・愛とは無条件に人々を思いやること。
・~~、
・~~~。

口で言うのは、思うのは簡単です。

でも、よく考えてみれば、どれもそう簡単にできることではないと気が付きます。

もちろん、【経験や鍛錬】【精神の統一】【忍耐】などは、お金で買えるものではありません
だから、どんなにお金持ちであっても、人を愛することができない人がいて、逆に、貧しくても人を愛することができる。そういう点で愛は平等だと言えると思います。

現代では、お金さえあれば何でも手に入ると思われがちですが、"愛"することの条件に上記のような3つの条件が必要なら、それはお金では買うことはできないのです。

随分話が脱線してしまいました。m(__)m

この『愛するということ』については、またいつか詳しく書いてみたいと思います。
(※初版は、なんと1959年に出版されたものですが、それから増刷を重ね今でも多くの方に支持されている名著であり、今もってその教えは色あせることはありません)

愛するということ
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では、また振出しに戻ります。(;^ω^)

これって恋なの? それとも愛なの?

置かれている状況がどんな状況かは分かりませんが・・・、

さて、さて、どっちなんでしょうね!? (*^▽^*)

関連するブログ↓ こちらもお暇がありましたら (;^ω^)

男女の恋愛感情は3年で冷める!?恋愛ホルモン"なんへん"

To Be Continued
Mr.なんへん



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